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復興の最前線で 28才の若者!



こんにちは。

今日は素晴らしい若者に出会えましたよ、

もちろんインターネット上での出会ですが!



写真をお見せできないのが残念ですが、その面構えが素晴らしい!

素敵な笑顔と信念が素晴らしい。

ケンプラッツの記者が現場で発掘した「キラリ光る」宝物です。



悲惨な災害も、二次的に素晴らしい原石を地底から地上へ吹上て

一向に進まない復興支援策をあざ笑うかの様に光の翼を

陸前高田に遣わした。



一層の精進を積み、東北を日本の政治を改革して行って頂きたい。


心有る政治家がいれば、聞くが良い被災地の生の声を!



【ルポ】被災地に転職した28歳技術者

ケンプラッツ 2013/03/11


 復興の最前線で働きたい――。

陸前高田市都市計画課嘱託員の永山悟氏は、東京の都市計画

コンサルタント会社から転職した28歳の技術者だ。

被災地に転職した男は、何を思い、どんな仕事を担当しているのか。

東日本大震災から2年がたったが、復興の歩みは決して早いとは

言えない。雪が降る2月中旬、ともに復興の現場を歩いた。





陸前高田市都市計画課嘱託員の永山悟氏。

2012年4月に、東京都内の会社から被災地に転職した。

津波による被災から2年が経過し、ようやく解体工事が始まった

旧市庁舎の前で撮影。

午前中は雪が降ったが、昼過ぎから太陽がのぞいた。

写真が無くてスミマセン。詳しくは写真:日経アーキテクチュアを。




陸前高田市沿岸部の道の駅高田松原から内陸に向かって撮影。

津波によって被災した市街地はいまも更地のままだ。



被災地にとって「2年」の大きな意味




永山氏は宮崎県出身で、東北地方には縁もゆかりも土地勘もない。

東京大学大学院工学系研究科の土木系である社会基盤学専攻を

2009年3月に修了し、同年4月、東京都内の都市計画コンサルタント

会社に入社した。



小規模の会社で、地方都市の街づくりイベントを企画したり、

屋外広告物条例の作成に関わったりした。

「新卒にもかかわらず、責任ある仕事を任せてもらっていた」

と永山氏は言う。




 震災が発生したのは、ひと通り仕事に慣れた社会人2年目の

終わりだった。

「街づくりの専門家として、どんなことでも協力したい」。

下請けとして受注した国土交通省の復興に関するガイドラインを

手伝う形で、復興に関わった。でも、何かが違っていた。




 永山氏は当時を振り返る。

被災地が求めていたのは、ガイドラインで定めるような

『あるべき論』ではない気がしていた。



実際に手や足を動かして、直接的に復興に貢献したいと

思うようになった」。

実際に転職に向かって動き出したのは11年の冬ごろ。

被災地では職員が不足し、岩手県や宮城県が臨時で

職員を募集していた。

大学時代の担当教官にも相談し、陸前高田市の面接を受け、

嘱託職員として採用された。




 12年4月に転職し、都市計画課に配属。

配属当時は何も分からず、雑用でも何でもこなした。

職員用の席札を1日中つくった日もあった。

現在は、都市計画決定の協議や住民説明、

「奇跡の一本松」の保存、建築許可申請の処理、

の3つが主な業務担当だ。





 担当の1つである都市計画決定の手続きに関して、

「震災から2年」が持つ意味は大きい。震災から2年が経過すると、

被災市街地復興特別措置法に基づく建築制限が解除されるからだ。




2年が経過する前に土地区画整理事業などを

都市計画決定しなければ、復興街づくりの支障となる

建築物が建つ恐れがあった。



 永山氏は担当の1人として、業務に追われた。

国交省や岩手県など関係機関との事前協議、

住民説明会などに奔走した。




 永山氏を取材した2月中旬は、都市計画決定の直前。

「いまが正念場」と話す永山氏の顔は真剣だった。

都市計画審議会などを経て、陸前高田市は2月26日に

土地区画整理事業や都市計画道路・公園事業を

都市計画決定した。






賛否両論の「一本松保存」


 震災の津波からたった1本だけ耐えた「奇跡の一本松」の

保存事業も、永山氏の仕事の1つだ。

2月1日までに集まった募金は約2000件で7898万円。

1件1件の事務処理を毎日のようにこなしている。



 一本松は防腐処理を施すために切り倒され、

幹にはカーボン製の芯が入る。

2月中旬に現地を訪れると、幹の部分の施工が進んでいた。

枝葉はレプリカとなる。




この保存方法には、批判の声もある。

永山氏は住民からの意見に耳を貸し、納得してもらうまで説明する。





「多いのは『なぜ多額の税金を使ってまで

残さなければならないのか』という意見。


事業費には募金を充てること、復興の象徴や観光資源として

重要だと考えていることを説明している。

きちんと説明すれば、分かってくれる人も多い」と永山氏は言う。



 3月6日には、レプリカの枝葉を幹と接合する作業が行われた。


枝葉の接着角度が微妙に違っていると、やり直しに成ったのは

皆さんご承知の通りです。




「みんなの家」に顔を出す




 もう1つの仕事である建築許可申請の処理は、

事務的な要素が大きい仕事だ。

主に建築制限が掛かる「被災市街地復興推進地域」について、

建築許可の手続きを淡々と進める。




県や市の事業との整合性を確認し、市役所で申請を回覧。

問題がなければ許可を出す。




 建築家の伊東豊雄氏が中心となって進めた「みんなの家」とは、

許可を出す側として関わった。

永山氏は、「許可を出しただけなので、プロジェクトに参加した

とは言えないが、完成後は定期的に足を運ぶようになった」と話す。




 永山氏とともにみんなの家に向かうと、管理人の菅原みき子氏が

迎えてくれた。

「いつも元気に声を掛けてくれる。先日は私のパソコンの調子が

悪いから、永山君に修理を頼んだの」と言って笑う。





陸前高田みんなの家の外観。

津波で立ち枯れしたスギを利用して建設した。

建築家の伊藤豊雄氏が、乾久美子氏、藤本壮介氏、

平田晃久氏と共同設計した。





 「それは行政の仕事なのか」と問うと、

「立場なんて関係ありますか」と逆に質問されてしまった。

永山氏は言う。「自分は民間企業で3年しか街づくりに

関わっていない。区画整理事業もやったことがない。



正直、専門家としてのスキルは低い。

しかし、民間で街づくりをしてきたから分かることもある。

それは、住民の意見や思いをしっかりと反映させないと、

街づくりは発展しないこと。復興でも同じだと思う」




永山氏と訪れた「りくカフェ」。

設計は成瀬・猪熊建築設計事務所。

地域住民が気軽に立ち寄れる「まちのリビング」を目指した。





「市が進めていることを、住民は知らない」




 永山氏は、陸前高田市の進め方にも疑問を抱いている。

「正直に言うと、住民への説明が不足していると思う。

例えば都市計画についての住民説明会は、

『法律で定められているからやっている』という雰囲気がある。




専門用語ばかりで、参加した住民がきちんと理解しているか

分からない。


上司にも『もっと丁寧に、住民の声を反映させる仕組みを

つくるべきだ』と提案したが、急がなければならないこと

もあり、改善できなかった。力不足だった」





 永山氏が懸念するのは、復興街づくりの事業期間が長いことだ。

急いで進めているとはいえ、本格的な復興は早くて数年後。

「計画の段階で住民が理解せず、そのまま事業が進めば、

『こんな街に住みたくない』といって街を離れる住民が出てしまう。

街の継続性を考えたら、人口減少は最も懸念されること。

それを防ぐためには、『復興に参加している』という気持ちを

持ってもらう必要がある」と永山氏は力説する。





 そのため、行政職員としての公の仕事だけでなく、

プライベートの活動も始めた。

陸前高田市で知り合った全国紙の記者や大学の学生と、

「陸前高田未来作戦会議」を組織。

街づくりの課題を共有して行動に移すのが目的で、

2月9日に第1回の勉強会を開いた。

被災地で活動するNPOなど9団体を招いて議論した。





陸前高田の今は…




 被災地の住民にとって、住まい再建を初めとする復興への

道のりはまだ遠い。

事業の進ちょくが比較的早いと言われる陸前高田市でも、

市街地中心部では災害公営住宅の造成工事が始まったばかり。




2月中旬に永山氏と回った範囲では、「西拠点」と呼ばれる

内陸部の造成工事や、高田小学校の南側に位置する下和野地区の

基盤整備が進んでいた。



3月7日に復興庁が発表した工程表では、どちらの災害公営住宅も

2014年度の入居を予定している。




 被災した旧陸前高田市庁舎の解体も、

ようやく1月後半に始まった。

現在は仮設庁舎が内陸部に建つが、今後の予定は決まっていない。





 永山氏は陸前高田市の職員採用試験を受け、

4月から正職員として働く。


「まずは5年間、陸前高田の復興に貢献したい。

行政の力だけでは足りない。

住民が参加できる仕組みを、なんとかしてつくりたい」。

永山氏は力を込めてこう話した。





こんな素晴らしい青年が、新しい日本の世紀を作るのでしょうね!

25年と己に期限を切っているのも潔い。

今から25年後の未来を覗いているのだろうか?

私などには、とても思いもやらぬ胆力・知力を備えているのだろう。

周囲の方々が是非、暖かく迎え育てていって頂きたいと思います。



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